京都大学経済学部 論文入試 合格体験記 その3

2012年度合格 長田高校出身
 まずは高3までの話から。 
僕が入った高校は近辺の公立校では一番の進学校。それなりに努力して入ったつもりだ。
その反動からか1年生の1学期はまるで勉強をせず、いきなり数学でつまずいていた。
その箇所については夏休みから通いだした塾のおかげで解決できたが以後数学では度々つ
まずくようになった。今思えばそれが私が文系に進み、そして京大経済の論文入試を選ぶ
遠因となったのだろう。
  僕は吹奏楽部に所属していた。さほど強い学校ではなかったが毎日の昼練と放課後練、
土曜日の練習、そして練習後の雑談に興じていた。そんな僕は自慢できることではないが
大抵の授業では寝ていた気がする。そしてテスト1週間前に急いで課題を済まし、間に合
わせの勉強でテストに臨んでいた。テストの成績は京大レベルとは程遠く、読書好きが幸
いして好成績だった現代文と好きだった公民以外はせいぜい真ん中くらいだった。しかし
周りのみんなも対策勉強をしない模試の時だけは学内で割と上位の成績を取れたこともあ
り、友人や家族からは「勉強意欲は足りないが実力はある」とお褒めの言葉を頂いていた。 
 大学に入ってから進む学部のアテもなくとりあえず文系に進んだ僕が京都大学に行きたいと初めて思ったのは高2の夏であった。模試などで志望校を書くことが多くなってき、そろそろ学部くらいは決めておこうと思いさまざまな学問をインターネットで検索しているうちに、ある日"交通経済学"という学問を見つけた。生まれつきの乗り物好きと興味のあった政治・経済分野の融合...「これしかない」と思った。そして交通経済学で有名な教授が京大(と同志社)にいたのである。国公立志望だった私は、よし京大に行くぞと思った。
 家族にこのことを打ち明けると、笑いながらもとりあえずオープンキャンパスに行くよう勧められた。そのオープンキャンパスで行きたいという気持ちが更に強くなった。理由は言葉に表しにくいが、文字通りの「校風」が自分にぴったり合っているように感じたからである。他にも一応阪大や神大、大阪市大などのそれにも参加したが、それほどの感触は得られなかった。また、私大の方も第一志望の同志社をはじめ関学、関大を見てまわったが、やはり同志社が一番合っていると感じた(ちなみに京大と同志社の今出川キャンパスは雰囲気が似ているところがあると思う)。
 こうして2年の後半からは志望校欄には京都大学経済学部と書くようになったが、勉強の方は以前のままであった。模試の判定はもちろんD。しかしまだまだ先の話だとまるで気にせず、部活や友達との遊びに興じていた。
 3年生になってからも、吹奏楽部の引退が7月末のコンクールだということもありしばらくは似たような状況が続いた。引退が早かった運動部の部員が勉強を始め、自分よりも成績が悪いと思っていた人たちがどんどんと成績を上げていった。塾では一応東大・京大・阪大クラスの授業を受けたが特に数学では完全に落ちこぼれ、先生の勧めで途中から神大・国公立クラスの授業を受けていた。そんな中夏休み前には三者面談があり、先生にも京大を受けたいと話した。もちろん先生も厳しい成績であることは理解していたとは思うが、止めとけとは言わず「きっとなんとかなるから今からがんばろう。」と後押ししてくれた。まわりの生徒もだいたいそんな感じで、例年D判定やC判定の学校を受験することは半ば当たり前だった。みんな厳しくてもあきらめず自分の行きたい学校を目指そうとしていた。吹奏楽部の男子6人のうち自分も含めて4人が京大(ただしみんな学部は別)を志望しており、互いに競い合うこともできた。そんな周囲の環境も僕を支えてくれたといえるだろう。
 7月末で部活を無事引退し、8月からはいよいよ受験勉強開始という段になった。しかし気分は以前のままで、ほとんど勉強が手につかなかった。一応塾の自習室に通っていたが、冷房の効いた部屋の中でひたすら居眠りをしていた気がする。しかも自分が嫌な科目には全くと言っていいほど手を付けず、数学と古文の苦手は全く改善されなかった。夏休みの成果はほとんど化学と、後々使わなくなる運命の日本史だけであった。
 9月に入ってひょんなことから家族にもそんな状況が知れ渡り、見るに見かねた父が僕の勉強を見てくれるようになった。父の手も借りて僕の勉強スタイルは抜本的に改革された。
 まず1つ目は一週間ごとの勉強スケジュール表の作成。これによりどの教科もバランスよく勉強し、さらに苦手克服にたっぷりと時間を注げるようになった。また10分単位で刻まれた時間の目安は勉強習慣をつけることにも役立った。
 2つ目はワークの使い方の変更。それまで僕は京大という名前にとらわれすぎて、つい難しめの難関大向けワークや過去問ばかりに手を付けて、分からないまま終わっていることが多かった。父は私に過去問などはもう少し後にし、その当時でも難なく解けるようなワークから始め、少しずつレベルをあげていくよう言った。また解いて間違えた問題に印をつけ、そのワークを一巡したらもう一度最初から印に注意して解き直していくようにも言った。これらは僕にははじめ無駄なことのようにも思えたが、これによって問題の"成功パターン"のようなものを体得することができ、自信と実力に確実につながっていったと思う。
 論文入試を受験すると決めたのもこの頃だった。それまではその存在すらも知らなかったが、父が「2次を苦手な数学無しで受験できる」といって教えてくれたのだった。文章に少し自信のあった僕はその入試に飛びついた。また論文入試では2次の社会科も不要となり、センターを実質的に出題範囲が同じ現代社会と倫理・政経で受けることで数学の2次対策、そして日本史の勉強をカットすることが出来た。このような事例は稀だと思うが、これから受験勉強にとりかかる人はぜひもう一度志望校の受験方法を研究し、私学とも照らし合わせて絞れる教科がないかを検討してみることをお勧めする。
 国語科の先生に論文入試で受けようと思うことを相談すると、「論文対策は冬になってからでも可能なので、例年センターの成績で足切りのある論文入試ではまずセンターでの高得点を目指すように。」とのアドバイスを受けた。そしてセンター試験重視で上記の勉強法を実践していくと、自分でも実感できるほど勉強が分かっていくようになった。
 論文入試の対策を始めたのは10月末くらいにあった河合塾の京大即応オープン模試からであった。河合の模試には論文入試向けのものも用意されており、それを受験したのが自分の書く初めての論文であった。前日に2011年の論文の問題に目を通しおおよその分量を"予習"していたにも関わらず、本番では大幅に時間が不足し、字も乱雑で解答欄である原稿用紙を2ページほど余した状態で無理矢理結論を書きこんだ形になってしまった。前の席で受験していた人たちの中には30分以上前に筆をおく人もいて、かなり悔しい思いをした(しかし返却されてみると論文の成績も意外とよい方だったのだが)。
 ちなみに言っておくともし万が一時間が足りなかったら、どんなに字数が足りなかったり論が中途半端だったりしても無理矢理結論を付けて終わるのが最もよいだろう文章の途中で時間切れになって「いかにも書きかけの文章です」と分かってしまう答案を作成するのは最悪だ
 その次の週から論文の過去問を解き、学校で先生の添削を受けるようになった。
ここで論文入試の出題についてざっと解説すると、論文の問題は論文Ⅰ・論文Ⅱの2題が課される。Ⅰは1日目で、ある社会系のテーマについて違う立場から書かれた2つの長文(少なくとも片方は外国人著者の文章であることがほとんど)を読み3つほどの問題に回答するもの。字数は総計2500~3000字で3時間。Ⅱは2日目で、ある社会系の割と身近なテーマに関する7~10個ほどのグラフを3つの問題に沿って読み進めていき、回答するもの。時数は総計2000字ほどで2時間。中でも論文Ⅰの方は内容もなじみのないものであることが多く、字数的にもかなり厳しいと思う。
 練習するにあたって僕は模試のこともあり当初は時間を気にしていたが、先生から「まずはしっかりと実のある文章を書く訓練をすること。時間は後から短縮できる。」とアドバイスがあったので、センターまでの時期は本番の制限時間の2~3倍の時間をかけてじっくりと答案を完成させることにした。
 また当初は国語科の先生にのみ提出していたが、論題は社会科に関することが多く、公民科の先生にもコピーを提出して並行して添削を受けるようになった。添削には先生の個性がよく反映されるもので、国語科の先生は一字一句にはあまり拘らずに論題全体についてのアドバイスをされることが多かったのに対し、公民科の先生は論じた内容にはあまり触れずに原稿用紙の使い方や接続詞の用法、論の構成に関してのアドバイスをされることが多かった。同じ問題の添削を2人の先生から受けたことはよかったと思う。
英作の添削も学校の英語の先生と塾の英語の先生の2人同時に受けていたが、それぞれの先生に違う箇所を指摘していただくことができより力がついたと思う。
添削を受ける一方で国語科の先生は僕に様々な新書本を貸して下さり、読むよう勧められた。もともと読書好きの私は次々と先生から本を借りては通学途中などに読んでいた。これは論文入試で求められる素早く課題文を読む力をつけることにもつながったし、何よりも答案の「テンプレートづくり」に役立ったと思う。 
この「テンプレートづくり」は・・・・・・

テンプレートづくりについて 

テンプレートづくりについて⇒HP上では掲載を割愛させて頂きます。
京大紅萌会には割愛した具体的なアドバイスも含む合格体験記の完全版があります。
 


是非一度お立ち寄りください。 

~~~ 。先生が貸してくださった本は京大の教授の有名な著作などが中心で、京大の論文入試に合った「テンプレートづくり」が出来たと思う。ちなみにこのとき読んだ本が気に入って、いま一般教養の授業でその本の著者の講義を受講している。また、この作業を行う上で大変参考になった国語科の先生の言葉を紹介しておこう。


「京大の論文入試で君たちに問いかけられているのは『経済学者としての良心』。東大や今の政治家・官僚の主な方針は新自由主義礼賛であるが、この方針だと取り残される弱者が多く発生してしまう。京大経済学部はそのことに着目し、『本当に彼らを見捨ててよいのか。』と問いかけている...」。この言葉を念頭に置いて京大論文入試の問題を読むと、そうでない場合に比べて一気に道筋が開けてくるように感じるだろう
 こうして論文の対策をするのに並行してセンター対策も過去問演習に移っていった。過去問を時間をはかって回答し採点し、全く分からなかった箇所があれば復習...という作業をすべての教科延々と行った。なおセンター試験に関しては合格者の平均得点率はおおよそ80%前後と見積もられているので自分の目標も80%得点とした。これは最初から達成できる教科もあれば最初は7割あるかないかという教科もあったが、段々と演習や補強を行っていくうちに最後にはすべての教科で目標を達成することが出来た。
こうして迎えたセンター当日。僕は試験に際しては余り緊張しない(裏返すと危機感がないということで、そのために在学中は苦労したが...)タイプなので、大失敗を犯すこともなく、いつも通りないしはそれ以上の結果を残すことが出来たと思う。自己採点では倫理・政経が75点で唯一冷や汗をかいたが、他の教科で90%台をいくつか取れていたこともあり、総合では798/900(約89%)と大成功だったと思う。自分の学校が提出した3つの大手塾のセンターリサーチの結果では、1つがA、残り2つがB であった。
 センター後は国語や英語も過去問の演習を中心に切り替えた。英文読解や現代文などは苦戦することが多く、これも論文と同様「まずはしっかりと実のある文章を書く訓練...」の方針で回答していった。並行してすべり止めの同志社の対策も行った。同志社は国語に関してはセンターと大差はないので、主な対策は過去問演習を通じた英語の速読と政経の知識の補完であった。論文の方は少しずつ時間が短くても済むようになり、最終的には時間内に仕上げることはできるようになった。
 これまでは自分の学校から論文入試を受けるのは一人だけだったが、自分のクラスの東大志望の友人S君がセンター試験の結果が芳しくなく、志望を変更して京大の論文入試を受けることになった。これを知った時にはさすがに焦ったが、むしろ良い刺激になったと思う。
 試験前日から一家総出で京都のホテルに泊まりこんだ。しかし試験前日だからと言って緊張することもなく、むしろ夕食にトルコ料理?を食べに行くなど楽しむことが出来たとも思う。当日、論文入試は全員同じ教室だったのでそのS君とも顔を合わせた。受けるまでは時には受験を恨みさえもしたS君だったがいざ試験会場で会うと、知っている人が一人いるだけでとても気持ちが楽になった。昼休みには彼と、同じクラスから文学部を受験した女子3人と集まって昼食を食べながらしゃべっていた。やはり受験会場で独りぼっちではないと感じることが出来たのはとても大きかったと思う。同志社の際も仲のいい友人が受けていたので休み時間に会いに行った。自分と同じ大学を受けに行く知り合いがいない場合は仕方がないが、1人でもいる場合は自分の教室に閉じこもって勉強したりせず会いに行った方が精神的にとてもプラスになると思う。
 試験では前年発生したカンニング事件の影響からか特に厳しく警備?がなされていた。少しでも着衣の表にアルファベットが書かれていたりしたら試験監督が持っているテープで該当部分を隠されたりした。目薬なども机の上に出してよかったが、ラベル類を全て剥がすか見えなくしたうえで、試験監督のチェックを受ける必要があった。このように緊張した空気の会場だったが、試験が始まる前にある試験監督が「先ほど教室の前の方で50円玉の落し物が見つかりましたが心当たりのある方はいませんか。」といった際に、違う真面目そうな試験監督の方がすかさず手を挙げるといったジョークで一気に場が和んだ。こういうのも京大独特のものだと思うし、個人的には好きなところでもある。
 そんなこんなで試験は無事終了。国語はいつもよりもよく書けたと思った。逆に英語の読解はいつになく難しく、記号問題の出題など傾向も少し変わっていたが、これはみんな口にしていたことだったし、英作文の出来が良かったので気にしないことにした。論文はⅠの方は内容はやや難しかったが例年の傾向からある程度予想のつく内容だったので読み進めるのは苦ではなかった。それでも書き終えたのは終了間際であった。自分の席の周りの人はみんなもっと早く終えていて少し焦った。論文Ⅱの方はまだこの形式になってから年数が浅く、傾向がなかなか定まらない様だがこちらも何とか時間内におさまった。全体的にはまあまあといった手応えだったと思う。 
 試験後は試験のことは忘れて、ずっと行こうと思っていた旅行などに行って楽しい日々を過ごした。 
 そして合格発表の日、張り出された番号の中に自分の番号があった時には嬉しかったが信じられず、何回も見直しに行った(笑)それでも番号はあったので学校や塾の先生や家族に喜びの電話を入れた。唯一残念だったのは一緒に論文入試を受けたS君の番号が無かったこと、そして吹奏楽部の男子で他に京大を受けに行った人は全員駄目だったと聞いたことだった。他にも自分の周りでたくさんの人が残念な結果に終わったと知った時に、改めて受験の厳しさ、そして自分がいかに幸運だったかを感じることになった。また、自分より早く論文の答案を作成できていた自分の隣や前の席の人の番号も無かったのには少し驚いた。大切なのはいかに早く終わるかではなくいかに良い中身の文章を作れるか、ということなのだろう。国語科の先生の指導の正しさが改めてよく分かった。
 このように私の合格は学校や塾の先生、高い目標を目指しあった友人、そして何より半年間勉強をサポートしてくれた父無では成り立たなかったものだと思う。改めて彼らに感謝しつつ、恩に報いることのできるよう大学生活を送りたいと思う。
これを読んでいる受験生の皆さんも、周囲の力の有難さを感じ、かつ自分の受験校をよく研究・分析したうえで受援に臨んでほしいと思う。
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